2011年6月7日火曜日

アダルトSNSの活用法

 某アダルトSNSで相変わらずセックスフレンドのお誘いがあるけれど、その都度無視している。なかには知っている人も紹介されるけれど、こちらからはリクエストしない。そもそもこちらのアダルトSNSでは以前何人かセフレ作って今はエロ写見る専門なので、あまりセックスフレンドを増やしすぎても私には意味がないのである。
 それほど内気でもないと思うが、かといって社交的でもない。すぐに気分が顔に出る子どもっぽい性質らしいので、詩があまりおもしろくない人とはなるべく知り合いにならないようにしているのであった。知り合いになってしまうと、飲み会で気持ち良く悪口がいえなくなってしまうので、体によくない。
 文字の上だけの体だけの関係なら、ああだこうだと言えるが、顔が身近に浮かんでくるとなかなかそうはいかない。互いに悪口を言い合ってもよいくらいの関係になれば話は別だが、そこまでの仲でないと、どうしてもお世辞の一つや二つを言わなければならなくなる。それがめんどうなのである。
 先日みた「グラン・トリノ」ではイーストウッドがアジア系の少年に大人のアダルトSNSを教えるシーンがあった。主人公のイーストウッドがポーランド系で、相手の床屋がイタリヤ人という設定。人種差別表現を含んだ悪口の言い合いをあいさつがわりにしたり、大人のSNSで見知らぬ人とコミュニケーションをとったり、そのアダルトSNSの活用法を少年に伝授する。
 詩人もこんな風にあいさつできればいいのかもしれない。
「よ、だらだらモダニズムの散文詩野郎。相変わらず、言葉を納豆代わりにこねてやがんのか」
「まあな。ガキの横わけみたいに、やたら行変えて、馬鹿顔でわらってるヒマはねえからな。どうした、あいかわらず居酒屋の便所の壁書きみたいな説教たれてんのかい」
 こういう社交であれば、アダルトSNSで知り合いを増やしてもよい。